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他の人が綺麗とほめられると、ねたんでしまう女性。選択理論で考えると?

他の人が綺麗と言われて、ねたむ女性。

容姿にコンプレックスを持つ女性Aさんは、他の人が綺麗と言われているのをみると、ねたんで落ち込んでいました。
Aさんは、自分の細い目と低い鼻を気にしていて、綺麗ではない自分には価値がないとまで感じています。

A さん
「ある勉強会で、先生が、『美人の〇〇さんが新しく入りました』と紹介しました。先生は、私が入会した時にはそんなことを言わなかったので、私のことを不細工だと思っているのだろうと感じて、みじめな気持ちになりました」

おゆき
「そんなことを言う先生がいたのですね。A子さんは、先生の言葉を気にしていらっしゃるんですね」

A さん
「はい。私は他の人の容姿に対する褒め言葉に反応してねたんでしまう自分が嫌なんです。私は、綺麗じゃないから自分には価値がないとさえ思っています。でも、こんな自分を変えたいのです」

おゆき
「どういう風に変えたいのですか?」

A さん
「誰かが他の人を綺麗とほめても、そのことを気にせず過ごしたいです」

おゆき
「前向きですね。もし、仮に、A子さんの大切な友人から、相談されたとします。友人から『他の人が綺麗とほめられているのを聞くと、ねたんで落ち込むの』と言われたらなんて答えますか?」

A さん
「『容姿なんか関係ないわよ』と答えます」

おゆき
「なるほど、関係ないと答えるのですね。もし、そう答えても、さらに、その友人から、『そんなふうに言ってくれてありがとう。でも、綺麗じゃないから、私には価値がないと思うの』と言われたら、どう返事をしますか?」

A さん
「目鼻立ちは、変えられないから、その友人のいいところを話題にします」

おゆき
「その友人のいいところを話題にすることは、どういう意図があるのですか?」

A さん
「自分のいいところに目を向ければ、少しは気にならなくなるのかなと思いました」

おゆき
「なるほど、たとえ苦手で自信のないところがあったとしても、私には、これがあるというものを持っている人は、自信のないことについて気にならなくなるという意味ですか?」

A さん
 「そうです」

おゆき
「今、仮の話をしたのですけれども、A子さんは、ご自身でこれなら自信あるわ、これが私の長所よっていうものは、何かあげられますか?」

A さん
「うーん、思いつきません」

おゆき
「今少しお話をしただけで、私には、A子さんのいいところ、すぐにあげられますよ。まず、『自分を変えたい』と前向きですよね。そういうところって、ご自身で意識されていましたか?」

A さん
「いいえ!」

おゆき
「そういう意味では、A子さんはご自身のいいものをいっぱい持っているにもかかわらず、あえて持っていないものに焦点を当てている、そんな印象を持ちました。自分の持っているものに焦点を当てる人と、持っていないものに焦点を当てる人がいるんですよね。A子さんは、どちらかというと自分の持っていないものに焦点を当てる人ですよね。それがダメと言っているのではありません。必要なことだとも思います。自分のことを振り返れますし、欠点に気づくことや役に立つこともあるかもしれません。仮に両方とも身につけらるとしたら、これからの人生どうなりそうですか?」

A さん
「一つよりは、二つとも身につけた方が、生きやすいかもしれません」

おゆき
「ひよっとしたら、A子さんは、自分の持っているいいものをみつけようということが有効なのかもしれませんね。試してみる価値はありそうですか?」

A さん
「試してみます」

おゆき
「A子さん、すぐに実践に落とし込もうとして、素晴らしいです。例えば、今日帰ってから、寝る時に、A子さんの持っているいいところを一つ見つけて、私って〇〇だから、なかなかやるじゃんって、自分に言ってみるとか?」 

A さん
「私って、得られたヒントをすぐ実践しようとするから、なかなかやるじゃん、こんな感じですか?」

おゆき
「そうそう、いいですね」

ねたむも自分で選択している行動

今回のA子さんの例での、「先生が、新しく入ってきた生徒さんを美人とほめたから、ねたんで落ち込んだ」は、選択理論では、外的コントロールと説明しています。
外的コントロールとは、
「相手が〇〇したから、私は〇〇した」
という考えです。
例えば、
「電話が鳴ったから、私は電話に出た」
は、外的コントロールです。
電話が鳴ったのは、間違いやセールスの電話を含めあなたと話したい人がいるとの情報にすぎません。電話が鳴った時に、出るか出ないかの行動は、あなたが選択できるのです。
「電話が鳴ったから、私は電話に出た」
というのは、電話がなったという事実にふりまわされて行動している状態です。
「私は電話の相手と話しをしたいから、電話に出た」
というのは、自分で行動を選択している状態です。
「私は電話よりも今は優先することがあるので、電話に出なかった」
というのは、自分で行動を選択している状態です。

上のA子さんの例では、
「先生が、新しく入ってきた生徒さんを美人とほめたから、ねたんで落ち込んだ」
の部分が外的コントロールです。
A子さんは、先生が他の生徒さんをほめたことに振り回されて、ねたむという行動を選択しています。
「先生が他の人をほめた」は、「電話が鳴った」と同じです。
「電話が鳴ること」をコントロールできないのと同じように、「先生が他の生徒さんに何をいうのか」はコントロールできません。
コントロールできないことに焦点をあてるのではなくて、コントロールできる自分の行動に焦点を合わせます。選択理論では、コントロールできるのは、自分の行動と説明しています。つまり、A子さんは、ねたむねたまないを選択できるのです。
この会話の後、A子さんは、自分のいいところに注目する行動を選択しました。

今回は、話の流れからそうなったけれども、100%ねたんでいる女性がこの方法で、解決できるわけではありません。
しかし、自分の外的コントロールは何かということを考えてみると、ヒントが得られるかもしれません。
たとえ、相手が何かをしたとしても、自分が気分よく過ごせる行動は自分で選択できるのです。

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この記事を書いた人

yukitakaide

おゆき

仙台在住のおゆき です。
心の健康、体の健康を実践しています。

心の健康については、選択理論心理学を毎日生かしています。2012年より学び続けて、2015年選択理論心理士になりました。

体の健康については、グリーンスムージーを2011年より毎日飲んでいます。2013年にグリーンスムージーマスターを取得しました。

心の健康と体の健康を維持して、気持ち良く毎日過ごしています。

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