「他の人から受け取るものはすべて、情報である。その情報をどう処理するかはそれぞれの選択である」
という声。選択理論を学んでから、日常生活で、先生の声がふっと思い浮かぶ場面があります。
つい先日も、食料品を購入する時に、レジで、ふっとこの声を思い出しました。
食料品を購入したお店で、店員さんの予想外の行動
いつも食料品を購入しているお店のレジでは、店員さんが、買い物カゴの商品をレジでピッとした後、そのまま袋に詰めてくれるのです。他のスーパーのように、精算が終了してから自分で袋詰めをしなくてもよいので、精算終了と同時にそのまますぐ帰れます。だから、レジのそばに、自分で袋づめをするスペースはありません。
先日いつものように買い物をした時のことです。
店員さんが、
「あっちのサービスカウンターの脇で、商品を袋に入れてください」
と言いながら、私に商品の入った買い物カゴをズズッと押し出したのです。
私は、びっくりして、
「あんな遠い所まで、わざわざこの重いカゴを運んで、袋に詰めるの?」
と答えました。
隣のレジを見ると、右のレジも、左のレジも、いつもどおり店員さんがドンドン詰めています。
選択理論を学ぶ前の私なら、
「なんで私だけこんな扱いなの?」と、店員にさんに怒り、「あの店員さんのせいで、ムカッとして、私は気分が悪い」となっていたと思います。
きっと、気分を悪くしたまま、帰ったことでしょう。
選択理論を学んでいた私に、この時、
「他の人から受け取るものはすべて、情報である。その情報をどう処理するかはそれぞれの選択である」
の声が思い浮かびました。
この場面では「この店員さんは、私の購入した商品を袋に入れなかった」という情報があるだけです。その情報をどう処理するかは、私が選択できるのです。
店員さんは、混雑しているレジの時間短縮のために、商品を袋に入れないで、回転数をあげようと考えていたことがわかりました。もしかすると、時間当たりのレジ打ちに関しては、他の店員さんよりも、適応力があるのかもしれないと思いました。客の満足度は、別として。
他の人から受け取るものはすべて、情報である。
今回の買い物では、私は「予想外の店員さんの行動」を「店員さんが私の購入した商品を袋に入れなかった」という情報として受け止めました。
情報そのものは、私の気分を良くしたり、気分を悪くしたりはしません。
その情報にどんな解釈をするかで、気分が良くなったり、悪くなったりするのです。
選択理論を学ぶ前の私なら、
「店員さんは商品を袋に入れてくれるはずなのに、入れてくれなかった。他の客は入れてもらっているので不愉快だ」
と感じて、
「あの店員さんが、私を怒らせた」と気分を悪くしていたと思います。
物事が思い通りにいかない時に、気分が悪いのを他の人のせいにしがちでした。
選択理論を学んでいた私は、
「他の人から受け取るものはすべて情報である」
に、意識を向けるようになりました。
「店員さんが私の購入した商品を袋に入れなかった」と情報として捉えると、その情報を受け取るのも受け取らないのも、私の選択です。
今回は、情報を受け取って、相手に確かめました。
そうすると、受け取った情報に対して、自分で勝手に解釈をして、私の気分が良くなったり悪くなったりすることがなくなります。
もちろん、情報を受け取らないで、商品を袋に入れてくださいと伝える選択もできます。
物事が思い通りにいかない時に、
「他の人から受け取るものはすべて、情報である。その情報をどう処理するかはそれぞれの選択である」
を意識すると、感情的にならないで賢明な行動を選択できるのです。
最近は、自分の思い通りにいかないことがあると、むしろ「これはブログのネタに使えるな」と、ニヤッとしてしまいます。情報ですからね。
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